歴史

今こそ訪れるべき!平和について考える場所/広島平和記念資料館(広島市)

今こそ訪れるべき!平和について考える場所/広島平和記念資料館(広島市)

広島の「8.6」の記録を伝え続ける場所

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広島の「8.6(ハチロク)」の記憶と記録を伝える広島平和記念資料館(「原爆資料館」と呼ばれることもあります)。
世界的建築家丹下健三が設計し1955年に開館した本館と東館で構成されています。写真は1994年に開館した東館。この中に受付があります。

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受付で入館を済ませたら、エスカレーターで3階の常設展示室へ向かいます。

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エスカレーターを上りきると最初に目に入るのが、この「被爆前の広島」の街並みのパノラマです。
今の私たちとなんら変わりない人々の暮らしが、そこで営まれていたのだという当たり前の事実を目に焼き付けながら、展示室に向かいます。

導入展示「失われた人々の暮らし」へ

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そしてパノラマの最後にあるのがこの写真。

戦争という状況下で、辛いことも我慢することも多かった子どもたちにも笑顔になれる瞬間があったこと、そしてこの後に起きた出来事を知っている私は、この写真の前からしばらく離れることができませんでした。

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常設導入展示「失われた人々の暮らし」に入ると、壁面には直前に見た「被爆前の広島」の原子爆弾投下後の姿がパノラマ写真で展示されています。

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そして室内の人々が釘付けになっているのが、展示室中央付近にある円形の立体映像。
まず緑豊かな広島市街地が映し出され、上空から原子爆弾が投下される様子、そして一瞬にして街がオレンジ色の爆炎に包まれ廃墟と化すCG映像が繰り返し流されています。

その瞬間を、今の自分と同じように当時上空から眺めていた誰かがいたとしたら、この光景をどんな想いで眺めていたのだろうかと、繰り返し流れる映像を見つめながらふと考えました。

8月6日に何が起きたかを伝える「被爆の実相」

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展示室を出ると本館につながる渡り廊下につながります。明かりを落とした暗く長い渡り廊下の突き当たりに一人の少女の写真が見えます。

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その写真を正面に見ながら左に抜けると「被爆の実相」の展示が始まります。

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「被爆の実相」の展示は、「8月6日の惨状」「放射線による被害」「魂の叫び」「生きる」の4つのコーナーで構成されています。この4つのコーナーを順路通りに進んで、原爆が投下されたその日から、戦後の広島の様子までを順を追って見ていきます。

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2019年4月、1955年の開館以来3度目となる展示リニューアルが行われて以降、被爆資料や写真、被爆者が描いた「原爆の絵」など実物資料を中心に展示しています。
原爆投下から77年(2022年時点)が経過し、もともと被爆して損傷が激しいうえ、長期間展示してあることで劣化する可能性があり、それを防ぐための措置として、およそ1年に1回(展示品によっては年に2回)入れ替えられるそうです。

もしかしたら一期一会かもしれないそれらの展示物を通して、私たちは被爆者の苦しみ、悲しみを感じとっていきます。例えば手書きの文字がびっしりと記された手帳や家族に宛てた手紙、被爆当日に身につけていた衣服、遺品や街を構成していた建物や瓦の一部、当時の写真や映像など。そのどれもが、そのとき確かにその場所には多くの人々の営みがあり、一瞬にして命が奪われたことを想起させます。

当日は9月下旬ということもあり、たくさんの修学旅行生の姿がありました。子どもたちの目は、展示物をしっかり捉え、彼らなりに精一杯、何かを感じ取っているようでした。

長い廊下の先に平和な未来があると信じて

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「被爆の実相」の展示を抜けると、平和公園を見渡すことができるその明るい空間にでます。その明るさが東館から本館に向かうときに通った暗い廊下とあまりに対照的です。

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平和記念資料館を南北に貫く平和の軸線上にある原爆死没者慰霊碑と原爆ドームを眺めることができます。
その眺めがとても平和的であり、空間の明暗による過去と現在の対比によって、原爆の恐ろしさ、戦争の悲惨さがよりクリアな像になって胸に迫ってきます。

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そしてこの廊下の突き当たりの壁に、ある少女の写真が掛けられています。

これは本館に向かう廊下の突き当たりにあった少女の写真についての解説です。写真のタイトルは「焼け跡に立つ少女」。解説の少女の写真の隣には、その少女が成人した姿の写真もあります。

「焼け跡に立つ少女」は毎日新聞のカメラマンが原爆投下の3日後に撮影したもので、長い間、身元は分からなかったそうですが、偶然写真を見た男性が自分の母親ではないかと名乗り出たことにより、「藤井幸子(ゆきこ)さん」であると判明しました。爆心地に近い自宅で被爆。写真が撮影された日から32年後の1977年に亡くなったそうです。享年42歳。

東館には無料ゾーンの展示室や資料室も

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東館1階のミュージアムショップ

東館1階の無料ゾーンにはミュージアムショップのほか企画展示室があり、地下1階には関連図書を借りることができる情報資料室があります。室内にある図書は雑誌や一部図書を除き、無料で借りることもできます。

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東館地下1階の情報資料室

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そして1階の受付付近には緑のジャンパーを着たボランティアさんたちの姿がありました。約220名余のボランティアが登録しており、そのうち30〜40名が曜日ごとに活動日を決めて、広島平和記念資料館の展示解説や平和記念公園及び周辺の慰霊碑等の解説を無料で対応しています。

現在は新型コロナ対策として館内の解説は休止していますが、状況を見ながら再開予定だと教えてくれました。利用には事前に電話予約が必要(空き状況により当日受付も可能)なので、詳しくは公式ホームページでチェックしてください。

一人ひとりが今、できることを考える

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2006年、戦後建築物としては初めて国の重要文化財に指定された広島平和記念資料館本館。

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建築家・丹下健三氏が平和記念資料館本館をピロティ構造にした大きな目的は、平和大通りからの景観を意識し、軸線上にある原爆ドームと慰霊碑への視線を遮らないためです。

ピロティの下には、残暑が残る9月の日差しを避けて集まる修学旅行の小学生たちの姿がありました。彼らの未来も必ずや平和な時代でなければなりません。そのために一人ひとりができることは何でしょうか。

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東館1階ロビーの入り口付近にある案内板には「原子爆弾による被害の実相をあらゆる国々の人々に伝え、ヒロシマの心である核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に寄与するため、広島平和記念資料館を設置する」と書かれています。世界で起きている紛争の深刻度が増していると感じる今、その言葉の重みをひしひしと感じます。

ひとたび戦争や紛争が起きれば、戦地の外にいる普通の人々も大きな犠牲を強いられます。遠くの国で起きている紛争や戦争も私たちの生活と地続きであり、「平和」は決して当たり前にあるものではありません。この時代に改めて、自分にとっての平和とは何か、その平和を守るために自分ができることは何か、を考える。そのきっかけになるかもしれない場所として、広島平和記念資料館は今こそ訪れるべき場所の一つかもしれません。

 瀬戸内Finderフォトライター イソナガ アキコ

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広島県

「嚴島神社(宮島)」と「原爆ドーム」という2つの世界遺産を有し、国内外から多くの旅行者が訪れる広島県。広島風お好み焼き、牡蠣、レモンといった定番グルメから、化粧筆の代名詞ともなった熊野の筆づくり、かつての軍港の姿を残す呉の街並み。根強いファンが多い地元球団やサッカーチームの観戦も見逃せません。また近年では、サイクリストの聖地「しまなみ海道」や、連なる島々を飛び石に見立て名付けられた「安芸灘とびしま海道」など多島美景観を実際に体験・体感できる観光も人気です。